華/汰介
詩が先にあるのか?それとも詩を操る人間にあるのか?
前者の場合、人間性はどうでも良いから詩の中で好き勝手に泳いでくれ、と言う事である。
後者の場合、その詩は、背後にいる人間と抱き合わせて見なければ、その詩の持つニュアンスでさえ分り難くなる。
紫式部と清少納言がその事に近いのではなかろうか。
勿論、学校で習ったおぼろげな印象で語っているのだが、
独立型、と依存型とでも言おうか。
紫式部の場合は、古語が読めない、時代背景が分らないと言う事は全く別の問題として、それさえクリアすれば、
別に紫式部を知らなくても意味は分りやすいのではないかと思う。
(まあ、その影で清少納言の事を
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