書くこと、まどろむこと、決めること/渡邉建志
 
を後期に書くという生き様をたどることは、
きっと不可能であるに違いないということ。

(角運動量、エントロピー、というような言葉たちをこういう場所でつかうことは、不適切なことなのだろうか。わたしが思わず例を挙げてしまうのは、
 論理的であろうとする態度ではなく、論理に見せかけた輸送、夢想なのだと思う、たぶん。
 そのことについて批判したソーカルの本を読まなければならないと思いながら、でもそれ以前にソーカルが触れている人たちの本を読まなければならない
 ために、でもそのためには大量のそれ以前の人たちの本を読まなければならないために、躊躇している。
 というよりも、わたしは自分で悲しくな
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