あをの過程さんの時間論−「存在の彼方へ」を読んでみる12/もぐもぐ
、確実にそれを明らかにする。思考主体としての「私」が、常に「今は今だ、私は何時でも現在にすぎない」と主張しても、現実の身体は時間の「経過(英語でlapse、=喪失)」というものを確実にあらわにする。私は時間の経過という事実を、絶えず見落としているだけなのだ。)
「歴史」の中で見失われている「時間」(lapse、経過=喪失)。思考主体である私は往々にして「歴史」の牢獄に囚われてしまう。しかし、この見失われている「時間」(経過=喪失)を見つめることで、早急に目的論を目指す思考の中に浮かび上がってくるものはないだろうか。レヴィナスは、この点を「隔時的」な「過去」、「起源に先立つ過去」(私が決して思
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