あをの過程さんの時間論−「存在の彼方へ」を読んでみる12/もぐもぐ
 
、強烈な求心性を持ったものであることには、あまり変わりがないように思われる。例えばこの思想には「遊び」の要素があまりない。全ての経験は、「誕生」という「最大の出来事」を「解釈」するための「ツール」としての位置付けを持つに留まり、それ自体としてどのような意味を持つものなのか、はっきりした位置付けを与えられていない。何故解釈されるべきが「誕生」なのだろうか。何故「誕生」が「最大の出来事」であると、無条件に前提することができるのだろうか。ヘーゲルに加えられた批判と同じで、このような「目的論」は常に「論点先取」になってしまうのではないか。(注、これは、個人として「誕生」を「最大の出来事」と捉える思想を持つ
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