暴力と責任、若しくは<善悪の彼岸>−「存在の彼方へ」を読んでみる11/もぐもぐ
 
題された節では、次のような描写がある。
「有責者の応答には、主題化も了解も可能ではない。・・・内包不能なものには、いかなる能力ないし容量も対応することがない・・・現在は私の自由のうちで始まる。これに対して、<善>は自由に委ねられるものではない。私が<善>を選び取るより先に、<善>のほうが私を選んだのである。・・・主体性には<善>を選ぶために必要な時間的猶予が与えられていない」
「かかる事態は非自由の形式的構造を描いているのだが、にもかかわらず、主体性はこの非自由が<善>の善良さによって例外的に贖われるのをまのあたりにする。ただし、この例外はかけがいのない唯一の例外である。いずれにせよ、みずから
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