暴力と責任、若しくは<善悪の彼岸>−「存在の彼方へ」を読んでみる11/もぐもぐ
 

一見それこそ暴力的な議論であるのだが、実際のところこの議論の射程はかなり深い(というより、単なる理念論に逃れないで「責任」や善悪等について議論しようと思ったら、このようなレヴィナス的認識に至るしかない。それほど突き詰めた、痛烈な現実認識である)。例えば、国家により制定された「法」の遵守の最終的な根拠は、「国家」という圧倒的な威力に対するこのような畏怖に他ならない。勿論、現代国家はかなりの程度人民によりコントロールされているので、既にある程度「予測可能」なものになっていて、このレヴィナス的「責任」のパターンとは違っている(場合によって法が破られうるのはそのためである)。それに対して、国家の「圧倒的
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