暴力と責任、若しくは<善悪の彼岸>−「存在の彼方へ」を読んでみる11/もぐもぐ
識ではある。だが、レヴィナスは、これを哲学化して、一般抽象的に通用する「責任」の原理ないしは構造として描く。
日常的な場面を考えてみよう。例えば、初めて誰かと顔を合わせるとき。私たちは時折その相手に「威圧感」を感じることはないだろうか。
引き合わされたばかりの私と相手には、それまで何らの面識もない。何らの繋がりもない。お互いがお互いをどうしようと、それはお互いの全くの自由な筈である。だが、時にどちらかが、或いは互いに、相手に対して「畏怖」を感じ、身を低くする。意図した訳でないのに、自ずと自分の行動を制約してしまう。人が他人に対する「責任」に拘束されるのは、そのような瞬間である。何らかの威力
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)