暴力と責任、若しくは<善悪の彼岸>−「存在の彼方へ」を読んでみる11/もぐもぐ
そしてそれと向き合う時の「恐怖」を。判断を下す以前に私はその威力に従っているだろう。あたかも自動人形のように、強大な威力は私に判断する時間を与えない。そしてその圧倒的な威力が、私がそれに「自ずから」服従することとなる全ての根拠である。逃れることもできず服従する、それは理性ではなく、位相転換した恐怖(心理学の騙し絵で見方によってAにもBにも見える、というのがあるが、それと同じように恐怖と責任(自発的服従)は繰り返し反転する)がそれをさせるのだ。
旧約聖書の記述はただの宗教である、このような記述は日常とは無関係である、と見る向きもあるだろう。それに聖書の記述は別としても、かなり抽象度の高い認識で
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