場所を持たない私「自身」−「存在の彼方へ」を読んでみる10/もぐもぐ
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「私自身(身体=感覚(五感)としての私)」は、実は(実際のところがどうなのかは私は知らないが、一つの論理上の解釈として)、物理空間の中に「位置付け不能」である。例えば、「視覚」を例に取ってみる。「目」は、人体の上の方、頭部の前面にはめ込まれている。目に映るものは、身体から離れたところ、少し遠くのところにある。では、「視覚」(「目」は感覚「器官」であって、視覚そのものではない)はどこにあるのか。「色」や「形」は、一体どこに「ある」のか。
深入りは避けるが、一方で物理的世界は原子分子、それより小さい各種の粒子の集合体である。それなら「色」や「形」等の「視覚」自体は、単なる主観の側の「作用」であ
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