場所を持たない私「自身」−「存在の彼方へ」を読んでみる10/もぐもぐ
 
ある目的に照らして、道具を役に立つように配列したもの)の中に「位置付け可能」である。
物理的空間や、道具的世界の中においては、「位置付け不能な」(「場所を持たない」)もの、そんなものは「ありえない」。

しかし、私自身(身体=感覚(五感)としての私、実存としての私)は、物理空間の中にも、道具的世界の中にも、「位置付け不能」(「場所を持たない」)なのである。

物理空間の方は、あまり考えると頭が捩れそうになるが、それこそ哲学的大問題であろう。まるでデカルトのような問題である(「思考主体」としての私と、「延長」としての私)。最近では、「心の哲学」とかそういう問題を扱っているのかもしれない。
[次のページ]
戻る   Point(0)