詩は詩、書き手は書き手、なのかどうか/白井明大
 
突き詰めていった結果、書き手は書き手でありながら、詩は書き手の思想や感情と別個に成り立ち得るという手法ができあがり、その手法をよりどころに戦争詩が書かれるに至った、つまり、戦争詩とはモダニズム詩の完成形である、といったことが書かれていたと解しております。

この「詩は詩、書き手は書き手」と考えるかどうかという話は、けっして自明のことではないようです。

       *

詩と自我が深く関わり合いを持つ詩の書き手はいます。

そのことを批判なさるのであれば、その理由をお聞きしたいところです。


(付記)

作中主体のことが挙がっておりましたが、小説やドラマでいえば、登場
[次のページ]
戻る   Point(3)