「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
き方をすると、ヘーゲル同様の観念論、詭弁的な議論だとも言われかねないのでこれ以上は差し控えるが、つまり、ヘーゲルのいう「現実」が、通常の「時間軸」上に位置付けることの出来ないものであること、これを押さえておいて欲しい。
レヴィナスは、存在の彼方を探し求める者として、この「どこか分からない場所」に注目する。
(「歴史は諸々の出来事を叙事詩として集約すると共に共時化し、これらの出来事の内在性とその秩序を明かす。自由は、このような時間と歴史のうちに組み込まれているのだ。」それに対して、「存在することからの剥離が可能であるかどうか、この点を考えてみなければならない・・・存在することからの剥離は「ど
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