「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
、これは無視できない。ハイデガーを基盤にしながら、その内容を、「倫理」を論じる際にも適合するように、上手く作り変えてやる必要が出てくる。
他方、ヘーゲルの方はどうだろうか。
ヘーゲルは、「同」とか「全体主義」の哲学者として、一部では揶揄されたこともあったようである。「世界史」「国家」等の大きなものまでその哲学に取り込んで論じたためだろう、ヘーゲルの議論はどうしても、「結局最後には歴史とか、国家とか、そうした大きいものに個人が取り込まれてしまうことになる」という感を否めない。だが、ヘーゲルは「否定性」を重視した哲学者でもある。その議論の全てを一概に割り切ってしまうことが出来ない辺りに、ヘーゲ
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