「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
ハイデガーの議論が「自覚」の議論であるとすれば、「自覚」された内容以外の事柄については、他人は何も手出しをすることが出来ない。どうすれば自覚させることができるのか、どうして人が自覚しようとするのか、ハイデガーにはそうした観点は欠けている。「死への先駆的覚悟」と言っても、それが何処からくるのか、ハイデガーは別段主題的には論じていないのだ(少なくとも「存在と時間」の中では)。
とすると、「倫理」を論じるに当たっては、「自覚」を基礎とするハイデガーの哲学に依拠することは、余り都合のよいことではない。勿論ハイデガーの哲学は他の面で現実を非常に良く捉え、現代哲学の基礎理論となっているわけだから、こ
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