「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
 
感じがする。「抽象的・普遍的」な真理が、「個別的・具体的」な現実として「貫徹する」。人は勝手に貫徹してくる現実を待っていれば良いだけであり、そこには何ら積極的な能作がない、そう見える。(ヘーゲルの議論を「個人の自主性を奪う」ものとして捉える立場は結構あったのではなかろうか。サルトルのようにこれに抗して「個人の自主性」を極限まで強調した者もいる。)
対してハイデガーの議論は、「自覚」を重んじたりする辺り、どことなくより「自律」的である。自分から積極的に動いて、自分の生を律する、そうした要素があるようにも見える。(ハイデガーの議論が哲学文学芸術等の広範な領域に影響を与えたのは、それだけの倫理的な迫力
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