「大胆」な「懐疑論」と異なった「リアリティー(現実)」−「存在の彼方へ」を読んでみる8/もぐもぐ
 
を超えて「知られる」ことができる。「真理」はまず、「超」時間的なものとして想定される。
ところが他方、私たちが普通「現実」と呼ぶものは、何よりもまず「個別的・具体的」なものである。「抽象的・普遍的」なものは、確かに現実の一部ではあるのだが、「個別的・具体的」なものよりは、何処となく「遠い」ものであって、いわば「観念的」である。目の前にいる人、それまで知らなかったものを具体的に目の前で目撃すること、そうした「個別的・具体的」な出来事によって、私たちははじめて「現実」を知る。
古代ギリシアの哲学においては、「超」時間的な「真理」の方が重んじられ、「個別的・具体的」な「現実」の方は、さほど興味を惹か
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