空の時間、断筆まがいと全容/れつら
 
と立会い、そしてそこに摂理を求める。何者にも許されず、かといって何者にも罰されずただ在る、その地点が詩であった。空、てんてんと転がる鞠のはずみ、公園のベンチにたたずむサラリーマン、その後姿が僕にとっての詩であった。
 ほんとうのところ、僕には詩なぞ必要ない。
 必要ないことこそが詩であった。


 生きる、という時間を何に見ればよいだろうか。ある人は言う。労働に。ある人は言う。空に。僕はそのふたつを結び付けていた。空は、動きである。無は流れる。それをただ正当化するがために、自分の生を犠牲にしたと言ってもいい。その結果生まれ出でたものものを読んで、感動していただけた諸氏、あるいは過去の自分
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