空の時間、断筆まがいと全容/れつら
 
それを身に染みさせる必要がある。時間は要るのであるが、作るものではない。在る時間、正確には現在という地点までに在った時間、その長さ、果てしなさを一身に受けなければ始まらない。これまで見たもの、これから見るであろうもの、その全てを請け負うというのは骨が折れる仕事だ。絶望的でもある。そしてその絶望は、甘美な絶望である。これまでとこれからを全て悲観し、それこそが私たちにとっての全てだと悦に入るに足るだけの、やわくて甘い揺らぎだ。
 僕は自分で思うよりも遥かにペシミストであった。これは当然である。逃げ場は最期の場でなければならない。僕にとっての書くということは即ち、死ぬことと同義だった。自分の無価値と立
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