刻まれたものは擦り切れるまでは息遣いで在り続ける/ホロウ・シカエルボク
 
みたいにさ…割り切ることと受け入れることはまったく種類の違うものだ、一見少しも違いは無いように見えるけれど…そこに牙があるか無いかの違い、って言えば少しは分かってもらえるかい?
音楽を聴くのにもう手順は必要ない、小さな箱に電池を入れてメモリーを選べば―その気があれば一日中だってフェバリッツを聴き続けていられる、だけどねえ、それは全く俺の知ってる音楽とは別物に思えるぜ…懐古主義者だと言われればそれまでだけど―デジタルは記録するだけ、アナログのように刻まれはしないじゃないか?滑りのいい引き出しみたいなものさ、すっと何の抵抗もなく―開かれたスペースから選択して取り出すだけさ
刻まれたものそれ自体が振
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