<SUN KILL MOON>/ブライアン
 
、「熟れた果実」に対してではなく、「熟れた」現実に対してだったのではないだろうか、と。だが、もし現実が「果実」、つまり月と、置換可能であったならばそれ自身は常に他者でしかなかった。太陽によってコントロールされる他者。ぶれる光、崩れる光のような。「月」の最後の二行は、

他人だった自分が
またひとつ落ちてくる


と描かれる。「自分」は「他人」だった。「自分」は不可抗力の事実でしかなかったのだろうか。「他人だった」とはいえ、自らを「自分」と名指す。奇妙な矛盾。ぶれる「自分」、崩れる「自分」。「自分」は「他人」でしかありえないのかもしれない。「自分」自身にとってさえも。
 
 文
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