自由意志と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる7/もぐもぐ
ていることを承認する。だが、かといって完全にコントロールされてしまっているわけではない。一定の範囲に限られはするが、一応「自由意志」は認められる。例えば功利的な理性として、その「欲望」なり「快」なり「無意識」なりを予め計算に入れて意思決定をすることで、そうしたものに囚われていたとしても、最終的には「自由意志」を貫徹することができると考える。現代の人間観は凡そこうした立場に立つものと思われる。(意思が強い弱いとか、やりたいこと・目標を持っている持っていないとか、個人の人生観のレベルでも、「欲望」や「快」や「無意識」に負けてしまわないでそれをコントロールできる「自由意志」を持つことが称揚される。)
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