自由意志と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる7/もぐもぐ
 
いのだが、要するに、私の意識の中には、常に外部環境(他者)への意識が含まれているということである(意識は常に何ものかについての意識である)。何かを「見ない」とか「聞かない」とか「臭いを嗅がない」とかいったことは、基本的に私には不可能であり(目を閉じてもまぶたの裏は「見える」し、耳を塞いでも空気の圧迫のようなものは「聞こえる」)、その限りで、意識である私は常に外部環境(他者)に結び付けられている。これは「自由意志」論的な切り離された私-他者の観念よりもより「基底的」なものである。というのは、このような繋がりが潜在しているからこそ、後から「区別」を立てて、私と他者を切り離して考えることが出来るからであ
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