自由意志と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる7/もぐもぐ
神」を想定しないにしても、この「意識」の受動性が、「私」の存在という以上のことの含意を持っている可能性はないだろうか。
レヴィナスはこれをあるという。そしてそれを「他者」と見なす。
レヴィナスはこれを、フランスの文法用語を使って、seであるとか、受動態であるとか、対格であるとか言う。なお、seは、フランス語において、受動態的な意味合いを含む再帰代名詞であるらしい。
(「「存在とは他なるもの」は、存在することの属領たることを拒む自己自身としての主体性なのである。・・・自我という唯一性における自己の外、自己との差異は、無関心-ならざることであり、<se>(自己自身、彼自身)という
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