言葉と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる4/もぐもぐ
 
々しさ」(p29)ということが述べられ、レヴィナスの述べるような「責任」が、存在すなわち現実の「戦い」や「利害」の「尺度」とは、無関係のものであることが言われている。そしてまた、
「なぜこの応答の重々しさを存在によって測ることができないかというと、それは、責任を回避することの不可能性が、責任の忌避に先立つ逡巡、あるいは逆に、責任を忌避したあとで生じる悔恨のうちにしか反映されないからである。現実の現実性はこのような逡巡には目もくれない」(p29-30)
と指摘されている。「現実の現実性はこのような逡巡には目もくれない」。心理的な躊躇いとか、自問自答とか、そうしたものは、「戦い」や「利害」の世の中
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