言葉と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる4/もぐもぐ
 
ず、または「辞任」であるとかそうした形で社会的責任を果たすことが求められる。レヴィナスの語っている責任は余りにも、心理的レベルの事細かな事象に囚われすぎては居ないだろうか。確かにそうである。

だが、これは、「存在の彼方へ」という課題設定から生まれる、レヴィナスの方向性からする当然の帰結なのだろう。存在、すなわち現実の「戦い」や「利害」、そうしたものとは「別のあり方」で重要なこともまた他にあるのではないか、レヴィナスはそこを探求しているわけである。だから「責任」のこうした捉え方も、ほぼ自覚的になされているものだと言って良い。実際、「責任に応える言語・・・存在を尺度とすることなきこの応答の重々し
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