言葉と責任−「存在の彼方へ」を読んでみる4/もぐもぐ
 
当は何なのかもう一度考え直すことである」という主張は、何かものを書いたり、話したり、そうしたことをある程度「真剣に」行おうとする人にとっては、それほど理解し難いものではないのではないかと思われる。その意味で、「言いたいこと」(<語ること>)と「責任」の間の重なり合いを主張するレヴィナスの指摘は、それほど一般的な感覚から外れているわけではない。
或いはもっと噛み砕いて言えば、「自分の発言に責任を取る」ということ。それは倫理の最小限の要素であると、誰もが感じるところのものではないだろうか。発言(to say、<語ること>)は、私たちの実感の中で、切り離せない形で、「責任」と深く関わりあっているのでは
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