「存在の彼方へ」を読んでみる2/もぐもぐ
、個々人の関係は、常に、見るか見られるか(突き詰めれば、どちらが支配するか)という相克を生んでしまうのである。サルトルは「存在と無」の中ではその相克を克服することが出来ずに、最終的には植民地解放闘争等の社会的・政治的な実践の方へと力を傾けていった(といわれている)。レヴィナスはそうしたサルトルの立場から生まれる理論上の「出口なし」に対し、神を擁護する形で、異議を唱えようとしていたのかもしれない。
先の文の少し後に、このような文が続いている。
「そうだとすると、いわゆる超越の破産は、超越することを言葉によって主題化する神学の破産でしかない」。(p26)
つまり、「超越」自体が失敗してい
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