「存在の彼方へ」を読んでみる/もぐもぐ
である」(p9)
所謂ハイデガーの「存在忘却」に関する指摘に触れながら、自分の議論がそれと並んで、宗教的・神学的に重要な試みであることを述べているのだろう。
ヘーゲルもハイデガーも若い頃には神学の勉強をし、聖職者だか神学者になることを志していたということだから、彼らの議論が宗教や神学の領域において持っていた影響力は割合大きなものだったのかもしれない。ユダヤ教の神学とキリスト教の神学がどのような関係にあって、どのように影響を与え合っている(いた)のかも、私は知らないが、レヴィナスがそれに対して別の議論を組み立てざるを得なかったのには、それ相応の理由があったのだろう。
聖職者でも神学者でもな
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)