「感性の論理」はどこからくるのか---詩の非論理的な領域を読むということ、詩の非論理的な領域を書くと.../N.K.
 
なおした頭の中にある(私の)イメジに対応させてみる。

岬の光り
岬のしたにむらがる魚ら
岬にみち尽き
そら澄み
岬に立てる一本の指。

 一つの解釈としては岬が光って魚がむらがっているのが教会(会衆)を、みちはそこに至るまでの道のり(こう言ってよければ歴史)を、一本の指が天を指し示そうとする暮鳥自身を、そらは澄んでいるリアリティを、あらわしている。つまり、この詩全体は、暮鳥がまっすぐに受け取った「この世界そのもの(のイメージ)」をあらわしているのに他ならないと私には思える。そのように受け取られた世界は一つの精神性その意味での普遍性へと凝縮し、暮鳥に対し生き生きと迫って来、それで暮
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