「感性の論理」はどこからくるのか---詩の非論理的な領域を読むということ、詩の非論理的な領域を書くと.../N.K.
 
、そして岬に一本の指が立っている。」と大岡はこの詩をパラフレーズした。そして「岬そのものが光っている。また指が岬に一本立っているというイメジだけで、すでに心は満たされるものがあります。」とした。
 しかし、「指が岬に一本立っているというイメジ」とは聖書を何度となく読み返し、神のみ心をもっと更に知ろうと願った牧師暮鳥であるならば、そして聖書記載の事柄にとどまるほかなかった牧師暮鳥であるならばなおさらば、以下のように考えざるを得ないであろう。指とは何をするものか?それは「指し示す」ものである。指とはただの指のイメジでしかないのか?それはイメジだが、まさにイメジとして「指ハ天ヲ指シ」、「指し示す」こと
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