河原の記憶/小川 葉
 
うして家族三人で、ヤマメを焼いて食べている今現在までの記憶はないのです。死んでいたのだから、しょうがありません。
 しかし、惨劇による死の時間があろうとなかろうと、生きている人間は、死の時間をサンドイッチみたいにはさんで、無意識のうちに、生と死のあいだを、行ったり来たりしながら、人間というものは、生きているつもりになっているのかもしれません。そうしてお父さんと子供が死んでいた時間があったことを知ってるのは、お母さんだけです。そのあいだ、お母さんは、二人の死を、じつに悲しんできました。だから今、こうして二人は生き返ったとするならば、おそらくは、その間、次のような二人の魂の移動過程があったと考えられ
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