形見という概念をどのへんに位置づけるか、それはあんたがたの自由だ/ホロウ・シカエルボク
 
それは慣れであり隔離されているので影響それ自体は皆無なのだというそれが本来目に留まるはずもないのに梱包されたなにかの方式によっていまもっともあらわに見て取れてしまうことはある種の法則の落度といえば落度でしかしその認識が身体になんらかの影響を与えたとしてもあくまで心情的な部分でのことに過ぎなくて機能的な部分には何の影響も起こることはないというのは想像に難しくないがもちろん心情的な部分でのダメージが機能的な部分にたいして致命的な影響を及ぼすパターンはいくつもあり俗な言葉で言えばストレスなんて言葉になるのだろうが確かにそういうケースを信じられるには心と身体の間にある溝は深くて広すぎるのだろうと考える理由
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