形見という概念をどのへんに位置づけるか、それはあんたがたの自由だ/ホロウ・シカエルボク
 
理由をひとつあげるとすれば心の影響により治らないはずのものが治るというような実例があまりにも少ないせいなのであって実感としてさほどリアルなものではなく溝という概念にあっさりと従ったほうが「心情的に」はるかに楽だという部分が確かにあるからで要するにそのたまたま表出化した梱包されたものはやはりデッドスペースで隔離されている理由のないものに過ぎないのだそれはまるで、





10年前の葬式の形見のようなものだ。





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