詩人のシノギ(訳詩集「於母影」の巻)/みつべえ
、ドイツ語を学ぶ。12歳で東京医学校予科に入学。19歳で東京大学医学部を卒業して、東京陸軍病院治療課に勤務した。明治17年(1884)、23歳のとき衛生学研究のためドイツ留学。帰国後、海軍中将赤松則良の長女登志子と婚約。32歳で陸軍一等軍医正(大佐相当)、37歳で近衛師団軍医部長兼軍医学校長に就任。その後も出世をつづけ、中将相当の位にまでのぼった。退役後も帝室博物館総長、帝国美術院初代院長、臨時国語調査会長をつとめた。その一方で、卓越した言語能力を自在に操り「舞姫」「うたかたの記」「雁」「阿部一族」などを発表、日本の近代文学史上に巨大な足跡をのこした。
★つまり鴎外の生業は「軍人のお医者さん」
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