記名の呪縛/岡部淳太郎
 
って書き手としての自らが規定されてしまうという感覚は、現在の自分のいる場所からまだ先の方へと進みたいと思う書き手にとっては邪魔なものに思えることもあるかもしれない。筆名を持つということ自体、新しい自分を仮構するということであり、普段の本名で生きるしかない日常に比してのささやかな抵抗の試みと見ることも出来るだろう。だから、いかに奇妙な名前に見えようと、またその名を頻繁に変えようと、一概にそれを批判する気に私はなれない。
 命名というものは本来神聖な行為のはずである。井川氏の文章にはそうした神聖な行為を軽く扱うなという言外の意味が含まれているのかもしれないが、同時に現代はさまざまな目に見えない不安や
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