タイピストとスタイリスト/m.qyi
が伴わない創造的な発話はあり得ない。創造的な表現は社会的認知に諍い、潜在的に公的な発表を内在している。
2から僕が言いたいのは、どのような分化も可能なのだから、そして、分化は言語の本質なのだから、常に僕たちは真実から遠ざかっていっている。真実に近づけば、社会的認知は得られない。人間はお座り椅子を必要とする破目に陥ることはよくあり得るが、それは解ってもらえない、解ってもらえれば、それは創造ではない。社会的認知を得ることは既成の認識パターンに組み込まれる事になるから創造性を失っていく破目になる。詩のようなものは、既成の認識パターンを使っていながら、どうしてもその認識パターンに組み込まれないような何
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