タイピストとスタイリスト/m.qyi
て認識も安定していくだろうけれど、既成の言葉を利用することは、それだけ、生(なま)の世界からは遠ざかっていくことになる。もし、生の世界が真実というならば、真実から遠ざかっていく。
1 から僕が言いたいのは、この種の発話は闘争だということだ。よっちゃんがお座り椅子を使わなくなる過程は、この二分化の認識世界に組み込まれていく過程であり、2に指摘したように少なくともそのこと自体が良いとも悪いともいえないものであるのに、社会的認知を受けられない限り圧力を加えられその世界観は否定されていく。だから、「お座り椅子」という言葉を発話しただけでは不充分で、お座り椅子の生活を獲得することはできない。闘争が伴
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