タイピストとスタイリスト/m.qyi
 
れば、上記で言う一元化か乃至は三分化が否定される事になる。つまり、単に対象を指すという命名の問題ではない。その台を「机」というのか外来語を使って「デスク」と呼ぶべきかという問題ではない。言葉は何か対象を指し示すシンボルではなくて、世界観を創る認識行為だと言うべきだろう。

2.この対立は、必然的な対立だ。つまり、二分化する認識パターンを持っている人間には、いけないことだと感じられ、上記で言う一元化か乃至は三分化を許す認識パターンをもっている人間には当然だと考えられる。つまり、どちらが悪いわけでもない。同時に、世界はどのように見ることもできる。言葉によって認識の仕方が確定してくることによって認
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