タイピストとスタイリスト/m.qyi
も二度と見出されえない。表現あっての創作であって、表現のない創作はないのはそういうことらしい。僕の気分は、作品ではないらしいのだ。そこで、繰り返して言うが、創造的表現というものは既にその時点で社会に対する抵抗をもっている。
非常に低次元の例を挙げよう。次元が低いというのは、既成の社会認知の中でその対象(既存の安定した言葉)が既にある例だからだ。例えば、ある母親が、子供に一般的な社会的認知に反した言葉を使ったとしよう。小さな子供がお絵かきをしたいので、その椅子を机にして描いたらと言ったとしよう。「お座り机で絵を描いたら、よっちゃん。」よっちゃんは、喜んでお絵かきをしていたが、しばらくして小学
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