タイピストとスタイリスト/m.qyi
象が詩ではないということはよく判る。イメージと作品には大きな隔たりがあるし、イメージが作品なしであるかどうかは非常に疑わしいのだ。だから、詩人は詩を書けなくちゃいけない、詩は詩作品のほうで、詩人ではないというのは僕には厳然たる事実だ。これが表現という行為だと思っていた。だから、それ以上に、発表というような謂わば社会行為に意味があるとはどうしても思えなかった。僕がいつも出す例に、ルーブルがある。あそこには、時代の評価に耐えたどこをどう叩いても名作であるというものが並べてある。だから、コンテムポラリーな作品はない。しかし、それは、同時代の社会に無視された作品の見本市でもあるのだ。詩について、当時の僕は
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