タイピストとスタイリスト/m.qyi
僕は、せいぜい非常にミクロな分析をして、言語というのは社会性をどうしても伴うものであるから、発表という行為が表現の延長であると言わざるを得ないだろうといったような非常に煮え切らない態度だった。だから、ある意味で、自分自身には腑に落ちないところがあった。このなんともいいかげんな態度が僕の詩を作っていると思う。だから、僕の詩がもっている一種の誠実さはこのいいかげんさの一面でもある。ここで話したいのはこの問題だが、この問題には後でもどろう。
さて、先の理由の前者について、つまり、「詩は、人が鑑賞できるレベル、水準を持てなければ、芸術作品じゃあない。」とか「友達同士で馴れ合っているのはよくない。」
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