詩のレスポンスについて、一端。/秋津一二三
はすごくねーだろ」だったりする。私の幾つかのレスポンスの訳は、「詩は手段だ、ちゃんと使え」である。どんな上手かろうと小馬鹿にされたらムカっと来るのが人間であるが、私は「あーまたこれかー」なので、自分は人間だと宣うのはあまり正確ではない気がする。
私は詩のレスポンスを書いているが、よく脱線している。持論はあるが、詩のレスポンスを書く根本の理由は、レスポンスのない詩が存在することが嫌だからであるし、持論が正論だとも思っていない。詩が手段であるように、詩のレスポンスもまた手段である。どう使うか、が問題である。
詩が自由であるなら、詩のレスポンスも自由であり、詩をコミュニケーションの手段が
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)