批評祭参加作品■余白について考える試み/岡部淳太郎
りも意識的に行頭を下げた連を設けることもあり、そのために他の連がある箇所とは大きさの異なる余白が現れることがある。また、いっけん余白とは無縁のように見える散文詩も、一行の文字数を二十五字とか三十字とか限定することで、余白を生み出している。小説や短歌における余白がひとつの決まった形で出現するのに対し、詩に現れる余白は千差万別である。余白の存在を意図的に有効活用しようとしているのが特徴である。たとえば草野心平の有名な「冬眠」という詩があるが、タイトルの他には大きめの黒い丸印があるだけで、あとはすべて余白だ。この詩に代表されるだろうが、詩における余白というものをいろいろと見ていくと、一種の視覚効果を狙う
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