批評祭参加作品■余白について考える試み/岡部淳太郎
 
であり、それを恐れてとにかく何とかそれを埋めようと必死になっている時代だということが出来る。そこを何で埋めるかよりも何でもいいのでとにかく埋めてしまえという考えの方が先に来るので、必然的に質的な低下を招来することにもなってくる。そんな時代の中にあって、余白が付随することに大きな意味性を見出している詩は分が悪い。こんなところにも、詩が読まれない理由の一端があるのかもしれない。
 最後に、タイトルにもあるようにこれはあくまでも試みであり、これをもって自分の余白論のすべてというわけではない。語りきれない見渡しきれない余白がまだ大量に残っているのは承知の上である(もっとも、私の書く批評のような文章のすべ
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