批評祭参加作品■余白について考える試み/岡部淳太郎
の余白部分をさしてもったいないと言ったことがある。それは詩と関係のない人であるからこそ出た、効率重視の考え方であろう。確かに現代という時代は、すべての余白を何とか埋めてしまおうと試みる。未利用の空間や時間があるとそれを持て余していると見て、何でもいいのでそれを埋めることに躍起になっている。とりあえず余白が埋められさえすれば、精神的な安心感が得られるからだ。未利用の土地があれば、そこに公園や駐車場を造ったり、店舗やビルを建てようとする。人々が集って会話する場合なども、ふと言葉が途切れて沈黙が訪れると、それに耐えられずに何とか言葉を発しようとする。言わば現代は余白への恐怖を無意識のうちに抱えた時代であ
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