批評祭参加作品■余白について考える試み/岡部淳太郎
などの文芸において、文字を使って内容を書き記すのは当たり前のことであるが、ページ全体がびっしりと文字で覆いつくされていたとしたら、ただ息苦しくなるだけで中身を味わう余裕はないだろう。以前、地元の図書館で戦後詩の全集本のような大冊を見たことがあるが、それは何と四段組で、ページ全体に小さな文字が大量に記されていた。限られたページ数で少しでも多くの詩を収録するための措置であろうが、それと引き換えにもともとあったはずの余白が削り取られて、余白の付随しない単なる文字の群れとしての詩がそこにあるだけであった。もうひとつ、個人的に思い出したことを書いてみる。もう何年も前のことだが、ある人が私の持っている詩集の余
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