批評祭参加作品■いま詩を書くということ/岡部淳太郎
からすると、等価でなければならないのだと言った方がいいかもしれない。八十年代だとか二十世紀だとか二十一世紀だとか、時間をそれぞれのディケイドに分けて考えるのは怠惰なことであるかもしれないが、人が考え出した便利な時間区分であるということも出来る。おそらくそうしたディケイドごとにそれぞれの時代精神というものがあり、後から振り返ってみればあれはこんな時代だったと総括されるようなものなのだろう。いまでは過ぎ去ってしまったそれらの時間もそれぞれの時の現場においてはまぎれもない「いま」であったのであり、詩人たちもその他の人々もその「いま」の時間的位相、「いま」の精神の中で生きていたのだ。そのことにとやかく言う
[次のページ]
[グループ]
戻る 編 削 Point(2)