批評祭参加作品■気風は断絶したか?/岡部淳太郎
にこだわる必要はないのではないか、それぞれが孤独に存在しているのならそれぞれが勝手に良い詩を書いていればいいのではないかという思いもしてくる。もし「気風」が断絶してしまって雲散霧消してしまったのならば、それもいいのではないかと思ってしまいそうになる。
稲川方人が「気風の持続を負う」を書いた翌年には吉本隆明の「修辞的な現在」(『戦後詩史論』所収)という論考も書かれている。「戦後詩は現在詩についても詩人についても正統的な関心を惹きつけるところから遠く隔たってしまった。しかも誰からも等しい距離で隔たったといってよい。感性の土壌や思想の独材によって、詩人たちの個性を択りわけるのは無意味になっている。詩
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