批評祭参加作品■気風は断絶したか?/岡部淳太郎
年代詩〉の頃にあったとする(堀川の言うことをそのまま認めているわけだが)。そして、その気風は(稲川のこの文章が書かれた一九七七年当時においても)いまだつづいており、「気風の交代」は起こっていないと見ている。
そこで気になるのが、二十一世紀に入って言わば「〇〇年代」が終盤にさしかかろうとしている二〇〇八年の現在、「詩の気風」はどうなっているのかということだ。なんといっても稲川のこの文章は三十年も前に書かれたものであるし、その年月の長さを思えばそれから現在までの間に日本の詩に何かしらの変化が訪れていてもおかしくはないと思える。果たして「詩の気風」はどこかで交代していたのか? 二十一世紀という現在に
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