【エッセイ】裏庭について – それからすこし家の話/mizu K
当な理由づけになるとも思うが、
家とは何世代にもわたって使われることもあり、貸家であればさまざまな人々が住むし、
そこでは庭をこのんで世話する人もいれば、興味もなく放置する人もいることと思われ、
とするとそこに住む人々によってそれが決定されるのではなく、それはおそらく、家の
醸し出すたたずまいであるとか、「家が、そこに求める気配」といったような、言語化
しにくい「なにか」なのである。今、「家が」と擬人化して表現したが、いってみれば
家という主体を核とする自律性のようなものであるのかもしれない。
***
祖父の家に行くと、いつも独特のいいにおいがしていた。仏壇もあるので線香
[次のページ]
戻る 編 削 Point(5)